今日は、プレミアリーグの強豪アーセナル誕生のエピソードについて、少しだけ書きたいと思います。
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デビッド・ダンスキンはスコットランドのファイフ州バーンティスランドに生まれ、ウーリッジの王立造兵廠で働いていました。ラグビーやクリケットが盛んな地域で彼は夢中になったのはサッカーでした。
3人の友人、イライジャ・ワトキンス、ジョン・ハンブル、リチャード・ピアースの助けを借りて彼はチームを設立しました。加えて、ノッティンガム・フォレストの2人の選手、フレッド・ビアズリーとモリス・ベイツがウーリッジにやってきたことも、ダンスキンのチーム作りを後押ししました。
噂が広まり、15人の男たちが6ペンスを持ち寄ってクラブを立ち上げる準備をしました。ダンスキンは更に3シリングを追加し、クラブはサッカーボールを手にしました。1886年10月のことです。
クラブは1886年12月に初めての試合を行うべく準備をしましたが、クラブの名前も、サッカーをする道具も、試合をする場所もありませんでした。結局ダンスキンとその仲間たちは、工場の作業場のひとつにちなんで自らをダイヤル・スクエアと名乗り、テムズ川を渡ってドッグス島でイースタン・ワンダラーズと対戦しました。
この試合をダイヤル・スクエアは6-0で勝利し、1886年のクリスマスにもウリッジ・アーセナル駅に隣接するロイヤル・オーク・パブで試合を行う準備を勧めました。次の試合に向け、ビアズリーは、ノッティンガム・フォレストに協力を依頼することで、ユニフォームキットの問題を解決しました。ノッティンガム・フォレストが予備のユニフォームとして所有していた赤いシャツ一式が送られてきたのです。
そして、ロイヤル・オークに座りながら、創設者たちは新しいチームの名前を決めました。パブの名前と自分たちの仕事場を組み合わせた「ロイヤル・アーセナル」だと。これは「ダイヤル・スクエア」よりもはるかに壮大な名前で、1891年にウーリッジ・アーセナルという名称に変更されるまで、クラブの名称となりました。
当時、資金を出し合ってフットボールを購入した15人の男たちは、運動で日々の仕事のストレスを発散できる環境以上のものは望んでいませんでした。
自分たちが何を始めたのか、このチームがこれからどれほど偉大なチームとなるのか、彼らは知りませんでした。
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以上、アーセナル誕生のエピソードでした。
大半はクラブの公式ページ(英語)に記載されていますが、間違いなどがあればコメントをいただけますと幸いです。
参考・引用:https://www.arsenal.com/history/laying-the-foundations/-royal-arsenal-formed-in-woolwich
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