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アーセン・ヴェンゲル “The Invincibles” ーロンドンで起きたフランス革命ー

 今日は日本人にもなじみが深い、アーセナルと言えばこの監督、アルザス発・名古屋経由・ハイベリー着、アーセン・ヴェンゲルについて書きたいと思います。

 

ロンドンで起きたフランス革命

 

 ジョージ・グラハムの退任後、スチュワート・ヒューストンやブルース・リオッホが監督に就任しましたがいずれも短期間の在任となり、チームは長期的なプロジェクトを任せることが出来る指揮官を求めていました。

 

 アーセン・ヴェンゲルは、モナコで監督として素晴らしい実績を収め、当時Jリーグが開幕したばかりの名古屋グランパスを指揮したのち1996年10月、ハイベリーへとやってきました。クラブ初の外国人指揮官です。

 当時、イングランドではヴェンゲルはほとんど知られておらず、ロンドン・イブニング・スタンダード紙は、「アーセン、誰?」(Arsène Who?) という見出しでこの無名のフランス人監督を表現しました。

 

 就任1年目の96/97シーズンはリーグ3位で終えたものの、翌97/98シーズン、一時は11ポイント差まで引き離されたマンチェスターユナイテッドを逆転し、2試合を残してプレミアリーグのチャンピオンとなりました。また、その優勝から2週間後にはFAカップも制し、ヴェンゲル体制初のダブルを達成しました。

 

 ヴェンゲルはピッチ上の戦術だけでなく、最先端のトレーニング法や植字システムを導入しピッチ外でも選手たちの管理を徹底しました。また、デイヴィッド・シーマントニー・アダムスデニス・ベルカンプといった既に名選手を擁していたチームにパトリック・ヴィエラエマニュエル・プティマクル・オーフェルマルスといった選手も獲得しました。

 

 90年代のアーセナルは「フェイマス4」と呼ばれた4バック(トニー・アダムス、ナイジェル・ウィンターバーン、リー・ディクソン、マーティン・キーオン)とGKのデイヴィッド・シーマンを擁して堅固な守備を誇りました。

 他チームのサポーターやマスコミからは「1-0のアーセナル」や「退屈なチーム」と揶揄されることが多かったアーセナルですが、ヴェンゲル就任後はこの伝統の守備的なチームカラーから一転、華麗なパスワークを武器に圧倒的な攻撃力を誇るチームへと変貌していきます。

 

 ヴェンゲルのもとで活躍したハイベリーの名手として、イアン・ライトも挙げられます。ヴェンゲル就任時には、すでにクリフ・バスティンの歴代ゴール記録に迫っており、1997年9月13日、ボルトンワンダラーズ戦で通算179ゴール目を決め、歴代トップとなりました。

 ライトは8年後にティエリ・アンリに記録を更新されるまではクラブの歴代トップスコアラーであり続けました。

 

 そんなティエリ・アンリですが、ヴェンゲルが獲得した選手の中で最も優れた選手は誰かと言われると多くの人が彼の名前を挙げるでしょう。もしかするとアーセナルに所属していた全選手の中でもトップは彼と答える人が多いかもしれません。

 

 98/99シーズン、マンチェスターユナイテッドに勝ち点差1で連覇を阻まれたアーセナルは1999年8月、アンリと契約を結びました。アンリは最初の8試合でゴールをあげることが出来ず、このフランス人はプレミアリーグの荒波に適応できないのではないかと疑問視されていましたが結局シーズン26ゴールという数字を叩き出し、チームとサポーターの信頼を勝ち得ました。しかし、チームとしては2000年のUEFAカップ、2001年のFA杯ともに決勝で敗れていました。

 

The Invincibles

 

 01/02シーズン、ヴェンゲル率いるアーセナルは、リバプールに7ポイント差をつけ、プレミアリーグ優勝。マンチェスターユナイテッド相手に敵地オールドトラフォードで決めた優勝となりました。また、FA杯決勝ではチェルシーを2-0で下し、見事にダブルを達成しました。

 

 02/03シーズンは、FA杯は制したものの、リーグ戦は連覇を逃しました。しかし、翌03/04シーズン、前年の悔しさを晴らすかのように、無敗でのリーグ優勝を達成しました。ノッティンガムフォレストが保持していたリーグ戦無敗記録も塗り替え、

 - 49試合、36勝、13分、0敗 -

まさにアーセナル“The Invincibles”でした。

 

 2005年にはカーディフマンチェスターユナイテッドを破り、再びFA杯優勝も果たしています。

 

欧州の舞台に立つヴェンゲルアーセナル

 

 イングランドを支配していたヴェンゲルアーセナルでしたが欧州大会(UEFAチャンピオンズリーグ)ではその力を示し切ることが出来なかったかもしれません。

 

 リーグ無敗優勝を決めた03/04シーズンは準々決勝でチェルシーに敗れました。ちなみに03/04のCLは大会史上初めて4大リーグのクラブが決勝に進めなかった大会となり、特に準々決勝はアーセナルのほか、CL前回王者のACミラン、前々回王者のレアルマドリードといった強豪が次々に姿を消すという波乱の多い大会でもありました。

 更に大会を制したFCポルトを率いたジョゼ・モウリーニョの名声を一気に高めた大会でもありました。

 

 05/06シーズンは、CL決勝でバルセロナと対戦しました。5度目の決勝進出であるバルセロナと、ロンドンに本拠地を置くクラブとして初の決勝進出を果たしたアーセナル

 アーセナルはグループリーグを勝ち抜いた後、レアルマドリードユベントスビジャレアルCFを下して決勝へと到達しました。

 試合は激しい雨が降る中で行われました。

 アーセナルはGKイェンス・レーマンを前半途中に退場処分で欠いたものの、DFソル・キャンベルが先制弾をあげ、前半を1-0とリードして折り返します。後半、1人少ない状況ながらも耐え凌いでいたアーセナルでしたが、バルセロナは若かりしイニエスタの投入で徐々に勢いをつけてきました。

 76分、エトオの同点ゴール。

 81分、ベレッチの逆転ゴール。

そのまま試合は1-2で終了し、ヴェンゲルの欧州制覇の夢は潰えました。アーセナルが欧州の覇権に最も近づいたのはこのときだったのは間違いありません。(2024年2月現在。)

 

 CLタイトルこそ取れていないものの、ヴェンゲル就任以降、アーセナルは欧州で最もリスペクトされるチームの1つとなりました。そして2004年2月、ハイベリーの近くにあるアシュバートン・グローブでガナーズの最新鋭ホームスタジアムの建設が始まりました。

 

 2006年夏、新しくオープンしたスタジアムは、エミレーツ・スタジアムと名づけられました。輝かしい歴史を持つクラブにとって、未来への大きな一歩となったのです。

 “a bold step into the future for a Club with a glittering past.”

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以上、アーセン・ヴェンゲルについての話でした。

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ここからヴェンゲルアーセナルは研究され、真似され、対策され、タイトルからは見放され、ヴェンゲルの退任、その後のチームの立て直し、そして、現在のアルテタ率いるアーセナルへと繋がっていきます。

 

大半はクラブの公式ページ(英語)に記載されていますが、間違いなどがあればコメントをいただけますと幸いです。

参考・引用:https://www.arsenal.com/history/the-wenger-years/the-wenger-years-overview

www.arsenal.com

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