今日は70年代のアーセナルについて書いていこうと思います。
70年代のアーセナル
1960年代後半、チームは間違いなく正しい道を歩み、成長しているという実感がありました。
1966年のFAユースカップ優勝チームがトップチームに昇格しはじめ、1968年と69年のリーグカップ決勝では、優勝まであと一歩のところに迫っていました。
クラブ史上初の欧州タイトル、そして、ダブル達成
69/70シーズン、チームはクライブ史上初の欧州タイトルとなるインターシティーズ・フェアーズカップを獲得しました。
バーディ・ミーが率いるチームは、準決勝で当時ヨハンクライフも所属していたアヤックスを破り、決勝はアンデルレヒトと対戦することになります。
ファーストレグを1-3で落としたアーセナルでしたが、ホームのハイベリーで迎えたセカントレグ、終盤にレイ・ケネディが決めたゴールなどで3-0と勝利をおさめ、見事優勝の栄冠を手にしたのです。
翌70/71シーズン、アーセナルはリーズとリーグタイトルを争いました。
最終戦、チームはスコアレスドローでタイトルを獲得できるところまできました。相手はアーセナルのライバルであるトテナム。試合はトテナムのホームであるホワイトハートレーンで行われました。
結果、試合終盤にレイ・ケネディがヘディングシュートを沈め、アーセナルは18年ぶりのタイトルを手にしました。
そして、その5日後、FA杯決勝でエディー・ケリーとチャーリー・ジョージがゴールを決め、2-1でリバプールを下し、見事リーグとFA杯のダブル優勝を達成したのです。
当時、ダブル優勝は史上4チーム目、20世紀では2チーム目でした。
しかし、残念なことにこの優勝がチームのピークでした。
翌年のFA杯決勝ではリーズに敗れ、72/73シーズンはリーグ2位に終わりました。ミーはW杯で活躍したアラン・ボールを大金で獲得しますが、チームはその後3シーズンで10位、16位、17位に終わり、1976年にテリー・ニールが監督に就任しました。
クラブ史上最高額の333,333.34ポンドを投じてニューカッスルからマルコム・マクドナルドを獲得した後、トテナムからパット・ジェンニグスを獲得。
リアム・ブレイディやフランク・ステイプルトンといった新進気鋭のタレントらと共にアーセナルは再びリーグ8強へと返り咲きました。
ニール率いるアーセナルは78年、79年、80年と3年連続でFA杯決勝に進出しました。
78年と80年は、それぞれイプスウィッチとウェストハムに1-0で敗れましたが、79年の決勝戦はマンチェスターユナイテッドを3-2で破り、優勝しました。
2-0でリードしていたアーセナルでしたが、マンチェスターユナイテッドに終了間際2点目を決められ同点に追いつかれてしまいます。しかし、アーセナルのストライカーであるアラン・サンダーランドがロスタイムにゴールを決め、優勝カップを手にしました。
こういった経緯もあり、この試合は「5分間の決勝戦」と呼ばれ、アーセナルの歴史における名勝負の一つに数えられています。
また、前述の通り、80年の決勝ではウェストハムに敗れましたが、その4日後、アーセナルはカップウィナーズカップ決勝でバレンシアにPK戦で敗れています。
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以上、70年代のアーセナルについての話でした。この後、アーセナルは再び名将のもとで第3の黄金期を迎えるわけですね。
大半はクラブの公式ページ(英語)に記載されていますが、間違いなどがあればコメントをいただけますと幸いです。
参考・引用:https://www.arsenal.com/history/the-seventies/the-seventies-overview
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