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ジョージ・グラハム ーアーセナル3度目の黄金期ー

 さて、今日の記事ですが、アーセナルの監督と言えばヴェンゲル・・・ではなく、その1つ前の時代、アーセナル3度目の黄金期を築いたジョージ・グラハムについて書いていきます。

 

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スコットランド人監督の就任

 70年台後半から80年台前半にかけて、監督はテリー・ニール、そしてドン・ホーウィーと低迷期が続いていました。1980年にFA杯とヨーロッパカップウィナーズカップ決勝の両方で敗れたアーセナルリアム・ブレイディ(→ユベントス)、フランク・ステイブルトン(→マンチェスターユナイテッドといったスター選手を失い、一時代の終焉を迎えていました。

 

 そんな苦しい状況で訪れた創立100周年の5月、1986年、アーセナルは契約解除を申し出たホーウィーの後任として、元アーセナルの選手であったジョージ・グラハムを監督として招聘しました。

 

 グラハムは3部のミルウォールで成功を収めており、その実績が認められる形でアーセナルの監督に就任しました。彼の監督就任効果はすぐに結果として現れ、1年も立たずして1979年以来となるFA杯準優勝を果たしました。1987年には決勝でリバプール相手に2-1で勝利し、アーセナル初のリーグカップ優勝も果たしました。(翌1988年はリーグカップ準優勝。)

 

グラハムのチーム

 グラハムは、ピッチ内外で厳しい規律を設けました。チームのスター選手との衝突も絶えなかったようです。守りを重要視した戦術で、時に「退屈」と言われることもありましたが、若きキャプテン、トニー・アダムスを中心に、10年以上にわたってチームを支える4バックを構築しました。また、デイヴィッド・ロカッスル、ボール・マーソン、アラン・スミスといった選手たちがアーセナルの攻撃を牽引しました。

 

 グラハム就任3年目の88/89シーズン、リバプールと勝ち点76・得失点差+37で並びましたが、総得点の多かったアーセナルが70/71シーズン以来、18シーズンぶり9度目の優勝を果たしました。シーズン最終節で優勝を争っていたリバプールを、その本拠地であるアンフィールドでロスタイムに下すという劇的な展開でした。FWのアラン・スミスはシーズン23得点を挙げ、リーグ得点王となっています。

 

 ちなみにこのシーズンは、1989年4月15日にシェフィールドのヒルズボロ・スタジアムで行われたFA杯準決勝のリバプール×ノッティンガムフォレスト戦で、死者96人、重軽傷者766人を出すヒルズボロの悲劇が発生し、リーグ戦も2週間の中断・延期がありました。

 

 翌89/90シーズン、連覇を狙うアーセナルでしたが、その期待は外れ、安定感にかけたチームはリーグ4位でシーズンを終えることになりました。

 

 尚、1985年にUEFAチャンピオンズカップ84/85決勝のリバプール×ユベントス戦でサポーター同士が衝突し、死者39人を出したヘイゼルの悲劇によるイングランドクラブの欧州大会出場停止は継続されており88/89にリーグ優勝したアーセナルUEFAチャンピオンカップ89/90には出場していません。

 

 補強が必要と考えたチームは、スウェーデン人MFのアンダース・リンパーとQPRのGKデイビッド・シーマンを獲得しました。90/91シーズン、集団乱闘による2ポイントの減点、アダムスの8週間の出場停止にもかかわらず、アーセナルはシーズン通してリーグ戦1敗にとどめ、再びリーグ優勝を果たしました。このシーズンもアラン・スミスが22得点でリーグ得点王に輝いています。

 

 91/92シーズンはまたもや連覇ならず、リーグ戦4位でシーズンを終えることになりましたが、チームは間違いなくリーグ屈指の強豪チームとなっていました。

 

 92/93シーズンにはイアン・ライトらの活躍でリーグカップFA杯のダブルを達成。93/94シーズンにはアラン・スミスのゴールでカップウィナーズカップを獲得しました。

 

 グラハム率いるアーセナルの栄光はまだ続くと思われましたが1995年、選手獲得の際にリベートを受け取っていたことが判明し、グラハムは解雇されました。

 

 後任はブルース・リオッホが努めましたが彼も1シーズンで退任しています。

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以上、ジョージ・グラハムについての話でした。

 グラハム就任の際、本来であればアーセナルはかのアレックス・ファーガソンを監督して招聘しグラハムはアシスタントコーチに据えようという計画だったみたいです。当時スコットランド代表監督が急逝したためファーガソンが後を急遽引き継ぐ形となり、グラハムを監督に据えることとなったようですね。

 そして、グラハムが去ったアーセナルですが、いよいよ、皆様ご存じのあの名監督がフランス発名古屋経由でアーセナルへとやって来るーという流れですね。

 

 大半はクラブの公式ページ(英語)に記載されていますが、間違いなどがあればコメントをいただけますと幸いです。

 

参考・引用:https://www.arsenal.com/history/grahams-glory-years/graham-s-glory-years-overview

www.arsenal.com

 

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