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ハーバードチャップマン ーアーセナルの偉大な指導者ー

 休日最高(^ν^)

 

 さて、今日の記事ですが、アーセナルを強豪チームの一員へと導いた偉大な指導者、ハーバードチャップマン

 

 アーセナルの監督と言えばヴェンゲルを思い浮かべる人が多いと思いますが、もっと前の時代にも、アーセナルには偉大な監督がいました。

 

 今日は、彼が指揮した時代のアーセナルについて書いていこうと思います。

 

「ハーバードチャップマン(Herbert Chapman)」

 

 1920年代前半にはハダーズフィールドタウンはFAカップと2部リーグでタイトルを獲得しました。そのチームを率いていたのが

「ハーバードチャップマン(Herbert Chapman)」

 

 1925年の夏、会長のヘンリーノリスはクラブに新監督が必要だと考え、彼を新監督として招聘しました。

 

 クラブは前シーズン、降格の危機に瀕しており、チャップマンは即座に改革に着手しました。革新的な戦術やトレーニング法の導入、スター選手の獲得、その結果、新監督はハイベリーでの最初のシーズンを

 FAカップ:準々決勝進出

 1部リーグ:2位

というクラブ史上最高の成績で終えました。

 更に翌年、初のFAカップ決勝にも進出しています。(カーディフシティに0-1で敗れましたが。)

 

WMフォーメーション

 

 1897年に作成された従来のオフサイドのルールでは「競技者がボールに触れるかスローインした時に、その競技者と相手ゴールラインの間に少なくとも3人の相手選手が存在するときに限りボールに触れることが許される」(3人制)と定められ、守備側に有利でした。

 1925年にFIFAにより改定された新ルールでは3人から2人(2人制)へと変更され、攻撃側に有利となりました。これにより得点数は増加しましたが、守備の負担は増加し、当時の基本であった2-3-5(ピラミッド型)では対応が難しくなっていました。

 チャップマンは1925年10月にニューカッスルに0-7と大敗を喫すると、主将のチャーリーブキャンの提案を受けてフォーメーションを改良。センターハーフハービーロバーツフルバックに後退させ、3人で守備を担当。5人のFWから2人を中盤に後退させ、3-2-2-3の布陣を採用しました。

 

 フィールドプレーヤーがWMの形に並ぶことからWMフォーメーションと呼ばれました。敵と向かい合ったときにWとMが重なり合い、完全なマンツーマンマークとなり、Wが攻撃を、Mが守備を担うという完全分業制でした。

 

ウェンブリーでの初タイトル、そして、栄光

 

 1930年、ウェンブリーの92,488人の観衆の前でアーセナルハダーズフィールドタウンを2-0で破り、初のタイトルFA杯)を獲得しました。

 

 この優勝は、アーセナルイングランドサッカー界を長きにわたり支配するきっかけとなり、アレックスジェームスクリフバスティンといった選手を擁するアーセナルはサッカー界の羨望の的となりました。

 

 更に30/31シーズン、クラブはリーグ戦で66ポイントを積み上げ、史上初のリーグタイトルも獲得しました。

 

 翌31/32シーズンもアーセナルは好調を維持しましたが、リーグ2位、FA杯準優勝、FAチャリティーシールドのみ優勝という成績で終わりました。ちなみにこのとき、リーグ戦では首位のエバートンと2ポイント差、ウェンブリーで行われた決勝ではニューカッスルに0-1で敗れています。

 

 32/33シーズンは再び1部リーグを優勝しました。このシーズンで初めて赤いシャツに白い袖を通してプレーをしています。ただ、この年、FAカップは3部のウォルソールに戦で衝撃的な敗北を喫し、リーグ優勝の歓喜に浸ることはできませんでした。

 

偉大な指導者との別れ

 

 そんな中、1934年1月、チャップマンは風邪をこじらせながらサードチームのギルフォードシティ戦を観戦していました。その後、チャップマンの容態は急速に悪化し、肺炎を発症。1934年1月6日未明、ハーバードチャップマンはヘンドンの自宅で55歳の生涯に幕を閉じました。

 

 偉大な指導者を失ったアーセナルでしたが、クラブは亡き監督が築いた礎の上に立ち続け、翌33/34シーズンもリーグタイトルを獲得。そして、34/35シーズンもジョージアリソンの指揮のもと3連覇を達成しました。

 

 そこから2シーズン、クラブはリーグタイトルを逃すことになりますが、35/36シーズンはシェフィールドユナイテッド1-0で破り、2度目のFA杯優勝を果たしました。

 

 37/38シーズンには5度目のリーグ優勝を果たし、まさに栄光の時代を築き上げていたアーセナルでしたが、戦火は間違いなくサッカー界にも影響を及ぼしていました。

 

第2次世界大戦。

 

 39/40シーズンから45/46シーズンまで、リーグ戦やFA杯は休止されることになります。

ーーー

 

 以上、アーセナルを強豪チームへと導いた偉大な指導者ハーバードチャップマンについての話でした。

 彼は生前の功績が認められ、2002年にはイングランドサッカー殿堂入りを果たしています。

 

 また、チャップマンは経営者としての才覚もありスタジアム最寄りの地下鉄の駅名を「ギレスピーロード」から「アーセナル」へと変更させ、アーセナルの観客動員数アップに貢献しました。(ロンドンの地下鉄でクラブ名が駅名となっているのはアーセナルだけです。)

 

 更に、夜間の試合のためにハイベリーのウエストスタンドに投光照明器を採用したのもチャップマンが初めてでした。(イングランドサッカー協会は50年代まで使用を認めず。)

 

 加えて、リーグにおいて選手の背番号制を初めて導入したのもチャップマン。アーセナルだけでなく近代サッカーの礎を築いたといっても過言ではないですね。

 

 "監督がチームを偉大にするのか、

    チームが監督を偉大にするのか。"

 

 大半はクラブの公式ページ(英語)に記載されていますが、間違いなどがあればコメントをいただけますと幸いです

 

参考・引用:https://www.arsenal.com/history/herbert-chapman/herbert-chapman-overview

www.arsenal.com

 

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