私の隣にはいつもポケモンがいました。
そう言っても過言ではないくらいポケモン世代ど真ん中です、私。
今日は私が子供の頃遊んだポケモンゲームをまとめてみようかと思います(赤・緑Ver.~ダイヤモンド・パールVer.)。自分の思い出と絡めながら振り返っていければと思います。
「ポケットモンスター赤・緑・青・ピカチュウ」
初代ポケットモンスターは「赤・緑」からはじまりました。1996年2月にゲームボーイ用ソフトとして発売され、カントー地方のマサラタウンから冒険が始まります。
私は赤Ver.を買ってもらい、最初の1匹はゼニガメを選びました。ゼニガメだけをひたすら育てて、カメックスの「バブルこうせん」でごり押しして四天王まで突き進んだのに、ワタルのカイリューを倒せず…。お金を集めてタマムシシティのゲームコーナーではかいこうせんの技マシンをゲットして攻略してましたね。
そんな思い入れのあるカメックスだったのに、友人のミュウLv.5と交換して後悔した記憶も懐かしいです。途中でLv.100にする裏ワザとかも知って、幼いながらもゲームを堪能し尽くしたように思います。
続く青Ver.は、1996年の10月にコロコロコミックなど雑誌の通販限定で発売されました。その後1999年に一般発売となっています。私は青Ver.は持っていませんでしたが、友人のプレイ画面を見て、ポケモンのイラストが違うことに新鮮さを感じていましたね。
そして、1998年に発売されたのが『ポケットモンスター ピカチュウ』です。ピカチュウを連れて歩けるようになったということで、親にお願いして買ってもらいました。
最初のポケモンは必ずピカチュウで、ニビシティのクリアが厳しすぎた記憶があります。確かニビシティの直前の草むらでニドランを捕まえて、「にどげり」をするしか攻略できなかったような…。また、最初に貰えるピカチュウは進化させることもできず、結局早々にピカチュウをパーティから外して冒険してましたね。
ここまでがいわゆる第一世代と呼ばれます。
「ポケットモンスター 金・銀・クリスタル」
それまでミュウ含め151匹だったポケモンですが、1999年にポケモン金・銀が発売され、251種類となりました。ゲームボーイカラーに対応したソフトとして発売されましたが、従来の白黒ゲームボーイでも遊ぶことができました。
私は近所のおばちゃんからクリスマスプレゼントで金・銀どちらも貰った記憶があります。最初に選んだポケモンはチコリータでしたが、ベイリーフの時点でパーティから外してしまいました。時間によってイベントが発生したり、ポケモンに性別ができたりなど、今では当たり前の仕様もこの時は凄く新鮮でした。第一世代とは通信交換による互換性があり、旧作から通信しないと手に入れられないポケモンもいました。
ちなみに赤Ver.のときも同様ですが、この頃のポケモンは「通信ケーブル」がないと友人と交換や大戦ができず、通信ケーブルを持っているだけでクラスの人気者になれるという現象が起きていました。
金・銀では、新しくジョウト地方が舞台となりましたが、第一世代のカントー地方にも行くことができ、当時としてはボリュームのあるストーリーだったと思います。第一世代ではセキチクジムのジムリーダーだったキョウが四天王になって、その娘のアンズがジムリーダとなっているなど、時の流れを感じさせるようなエピソードも良かったです。
そして、2000年、ゲームボーイカラー専用ソフトとしてクリスタルVer.が発売されました。私はゲームボーイカラーを買ってもらえず、クリスタルはプレイしたことないのですが、金・銀との通信互換性はありましたので、友人たちと問題なく遊ぶことができました。なお、この世代から色違いポケモンも搭載され、赤いギャラドスは確定で手に入るのですが、白黒ゲームボーイでプレイしていた私にはピンとこない話でした。
ここまでがいわゆる第二世代と呼ばれます。
「ポケットモンスター ルビー・サファイア・エメラルド」
2002年、ゲームボーイアドバンス対応ソフト、ルビー・サファイアが発売されました。第一・二世代とは異なるホウエン地方が舞台となり、過去作との互換性はありません。新しく135種類のポケモンが追加され、フライゴン、チルタリスといったようなデザイン性に優れたポケモンも多く登場しましたね。
私はゲームボーイアドバンスも買ってもらえなかったので、現役時代はプレイできませんでした。しかし、ここから数年後、DSでダイヤモンド・パールをプレイするときに、友人からソフトを借りて1からルビー・サファイアもプレイした記憶があります。(DSはゲームボーイアドバンスのソフトをプレイするスロットがあったのです。)
そして、2004年、「エメラルド」が発売されました。ルビー・サファイアからバトルフロンティアといったいわゆるポケモンを極める人が楽しむ要素が追加され、この要素は後世のポケモンでも名前を変えて多く残っていますね。
2004年、「ファイアレッド・リーフグリーン」が発売されました。「ルビー・サファイア」とは互換性があり、「赤・緑」と同じカントー地方です。
私はこれも、DSでダイヤモンド・パールをプレイするときに、友人からソフトを借りて1からプレイした記憶があります。
2006年、ポケモンゲーム10周年となる年に「ダイヤモンド・パール」は発売されました。DS対応ソフトとして、2画面のメリットを余すことなく活かしたゲームでしたね。
私は発売日当日に友人とイオンのゲーム屋に開店アタックした記憶があります。最初に選んだのはポッチャマでした。
当時私は中学2年生で、まわりのポケモンガチ勢から「種族値」「個体値」「努力値」という言葉を初めて聞きました。が、個体値厳選や努力値の集め方などが当時あまりにも面倒で、そこまで極めることはできませんでしたね…。
また、「なぞのばしょ」なるバグもあり、通常では手に入れることのできなかったシェイミやダークライも捕まることができました。目的地に到達するには歩数が細かく決められており、ミスるとお店でパッチを当ててもらわないと暗闇から脱出できなくなるということで、手に汗を握りながらプレイした記憶があります。
このあと、プラチナ、ブラック・ホワイト、サンムーンと続くのですが、私ちょうどそのあたりは高校生や大学生の時期で、ちょっとポケモンから離れておりプレイできていないのです…。復帰したのはSwitchになってからレッツゴーピカチュウからとなります。
以上、ポケモンゲームの振り返り(赤・緑Ver.~ダイヤモンド・パールVer.)でした。
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